2013年10月19日土曜日

朝日将軍、義仲、日蝕(エクリプス)に倒れる

 歴史が動く時というのは、いきなりらしい。旧暦八月十七日、三島大社の大祭からわずか二十日後、旧暦九月七日、木曽義仲旗揚げ。

 木曽義仲は、平家物語の中ではさんざんに書かれていますが…。
 子供の頃から狼を一人で退治する剛の者、都からやってきた僧に学問を習い、地元の有力者の後ろ盾もいるという、かなり毛並みの良い人物なのです。四天王と呼ばれた配下と巴御前を従え、鬼神のごとく暴れまくったサムライヒーローであることは間違いありません。

 (吉川英治「新・平家物語」では、正妻の巴御前の他に、葵御前という美女も登場します。2人が義仲を愛し、女武者として命をかけて戦うという、男なら鼻血が出そうなストーリーになっているのです。はぁあ~。私は読んでいて、ため息が出ます。)

 さて、1183年七月、平家を都から追い出したのは義仲です。義仲は、京に入り、朝日将軍と自らを称しました。
 そんな素晴らしい義仲が、なぜ敗れたのか。その原因は幾つかありますが、まず、コンプレックスがなかったことだろうと私は思います。倶利伽羅峠に勝利し、それこそ破竹の勢い。自信満々で政治にばんばん口出し、後白河法皇に、ウザイ、と嫌われたのです。
 
 そしてもうひとつの要因は、日蝕(エクリプス)。時は閏十月朔(1183年、11月24日)、水島の合戦。(瀬戸内海、現在の倉敷市付近)。
 合戦の最中に、金環日蝕が起こったのです。源氏方は大混乱。義仲は朝日将軍、太陽の申し子、いわばアポロンです。そのアポロンの戦いで、あろうことか太陽が欠けるなんて! 
 
 が、平家方は、この日蝕をあらかじめ知っていたといいます。なぜなら昔から蝕の予言は、政治的に重要だったからです。蝕が起こると、御所の行事はすべて中止なのでございま~す。
 暦の計算は、陰陽師の仕事。陰陽師は御所に仕えています。都の貴族たちは、占いを気にし、毎朝起きると、すぐに暦を見たといいます。凶方角があれば、方違えをしなくてはなりません。お日柄によって、やるべきこと、やってはいけないことなどもあり、ほんに忙しいことよのう。オホホホッ!
 暦を使っていれば、日蝕が朔(新月)に起こることぐらいも、まあ知っているのでしょう。逆に、日蝕が起こる可能性を知っていて、戦いを仕掛けたのではないかという推測さえも成り立つのです。
 
 しかし、義仲は暦など気にもしていなかったようです。興味があるのは、月の巡り。闇夜になれば闇討ちを、満月の晩には夜中の行軍も可能、といったあたりでしょうか。あとは、戦いの勝敗は天気で決まるので、風や雲を読むことは重視していたようですが・・・。
 暦占などはまったく信じてはいなかったはずです。が、その義仲が欠けていく太陽に驚き、源氏の軍勢は、士気を失って総崩れになるのです。

※ 2012年の日蝕です。日蝕ラインは、東京、箱根、駿河。江戸が築き上げてきた日本文化のサイクルにおけるひとつの終焉を意味するものかも知れません。

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