2013年10月15日火曜日

二十六日の月は東の空に、安房の国に新たな夜明けへの期待を込めて

 源頼朝の挙兵に応じ、援軍に駆けつけた三浦一族ですが、大雨で酒匂川が増水し、渡れなかったため、石橋山の合戦に参加できなかったとあります。
  三島大社の大祭のすぐ後に、台風がやってきたのでしょう。頼朝軍敗走の知らせを聞いて、衣笠城に引き返します。

 八月二十六日、79歳の三浦義明はわずかの兵と共に篭城して戦うのです。(三浦義明の娘は、源義朝の側室。一説には悪源太、義平の母。)
 戦いのさなか、三浦勢はひそかに海上に逃れます。闇夜の中です。二十六日の月は、明け方近くになってようやく昇ります。落城の炎を背に、昇り始めた細い月の方向にあるのは安房の国。
 
 頼朝が潜んでいたしとどの里からは、炎上する衣笠城が遠くに見えたでしょう。
 
 私、衣笠にしばらく住んでいたことがあります。その家は山の中腹に建っていました。衣笠インターのすぐ側です。そこからは、衣笠城があったという小高い山がよく見えました。衣笠城は典型的な山城です。急な斜面を昇っていくと、昔衣笠城があったという跡には、石碑が建っているだけ。城跡の裏は崖になっていて、岩や瓦礫がごろごろしています。
 城山に登る途中にある寺の看板に、衣笠城落城のいきさつが、ちょっとだけ記されていた記憶があります。山の頂上まで登って行くと、茂った木の間から、富士山や箱根の山を眺めることもできました。

※ 写真は9月半ば、しとどの里への参道で撮影

石仏に心宿るなどあるわけもなし、わかりきったことなれど、
伏したる半眼に映りし世の姿を、それでも問うてみたいと願う我あり


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